昔、知り合いが交通事故にあったと聞いて、驚いて様子を聞いたら、大丈夫だったと聞いて安心した。しかし次に会ったときに、また事情を聴いて驚いた。事故にあったその時は、何ともなかったが、その翌日から首が痛くなり、肩が痛くなり我慢できなくなり病院に行ったら、交通事故の後遺症だと言われ、それから病院に通っていると言っていた。その話を聞いて、以前、母親から聞いた話を思い出した。もし交通事故にあったら、その時は何ともなくても、後から何か症状がでることもあるから、必ず、相手の名前と電話番号を聞いておくこと、「大丈夫、大丈夫」と言って、そのまま別れては絶対だめだと。交通事故は本当に怖い。自分がいくら気をつけていても、巻き込まれることもあるから。しかもホッとしたのもつかの間、後から厄介な症状が出ることもあるなんて。交通事故といえば、最近のニュースでは、桜塚やっくんが高速道路で事故にあい亡くなってしまったことだ。私は、特に彼のファンだとかそういったことはないが、彼が一時期、活躍していたのも知っていたし、大変な人気があったのもよく知っている。誰もが、あの時の彼を見たら、実力もあったのかもしれないが、時流に乗って運がよく上手いことやってるなあと思うだろう。特に、芸能界は他の世界と違って、実力よりも言葉では表現が難しい目には見えない運というものにかなり影響されるものだと、私自身は勝手に思ってしまう。どんなに実力があっても運がなければ、芽が出ないのが芸能界たるもののような気がする。その中で、あれ程の活躍をした彼は、あの時期だけみると、運がありラッキーな男とみえるだろう。でも何年か後には、あんなに若くして不幸な亡くなり方をしてしまう。ずいぶん昔に見た、グゥイネス・パルトロー主演の「スライディングドア」という映画を思い出した。その映画は、ヒロインの人生が、電車にちゃんと乗れた後の人生と、電車に乗れなかった後の人生が、同時進行に進んでいき、衝撃的な結末になるというストーリーである。最初のうちは、電車に乗れなかったほうの人生のほうが良くて、仕事も新しい恋人もできて順調に進んでいるように思えるが、最後に交通事故で死んでしまう。電車に乗れたほうの人生は、観客がイライラするほど恋人に騙され続け「あ~あ」という人生だが、最後に階段から落ち大けがをするが、回復して新たな人生を歩んでいくという前向きなストーリーで終わる。このとき、私は、あんまりいい時期ではなかったが、この映画を見て、考え方が変わった。人生、何が起こるか分からない、今は良くなくても最後にどんなどんでん返しがあるか分からない。ひとつ言えることは、命があれば、“よし”であるということだ。