かもしれない運転

みなさんは「かもしれない運転」というものを聞いたことがありますか?
自動車学校で教わったかどうか、おそらくは教わったことだろうと思うのですが、(もちろん、私は全然覚えていません。)
どういうものかと言うと、未然に交通事故にならないように「用心」することですね。
「交差点で急に子供が飛び出してくるかもしれない」だとか「急に前の車が車線変更して追突するかもしれない」といったことをシュミレーションしておくことで、予測の網を張り巡らせておく考え方のことです。
この「かもしれない運転」は「運転」とつくので、「運転テクニック用語」っぽいですが、何も「自動車運転」に限定されることではなくて、日ごろから何気に繰り広げられていることなんじゃないかなと思います。
でも、昔から意識的にやってきたことだったか?と言われると、決してそんなことはなかっただろうと断言できます。つまり、「かもしれない」という予測は経験・記憶といった「データ」がないとやれないことなんですよね。
仮に未知なるショッキングな出来事や一生の不覚な大失敗をしても、「こんな目に遭うのは二度とごめんだ!」と脳裏に焼き付け、未来の教訓として「データ」に残し、それを分析し対処法を練ればそれは「知恵」となり、その「知恵」はその人を大きくレベルアップさせることができるというわけなのです。

ちょっと昔、「プールの監視」という仕事をしたことがあります。見張り台からメガホンをもって「プールサイドは走っちゃダメだよ」だとか、「飛び込まないでね~」と執拗に注意する、あの仕事ですね。ぼ~っとできるんじゃないかな~と思っていたのですが、とんでもなかった…。「かもしれない運転」の連続で監視台からハラハラしながら見守るお仕事でした。子供たちって本当に「データ」がないから、「かもしれない運転」が心底できないものなのです。
「こう走ったら、こう滑って転ぶかもしれない」とか「確認もせずに飛び込んだら、そこに人がいて激突するかもしれない」だとか、「人を怪我させてしまったら、とてつもなくヤバイことになるかもしれない」だとかっていう「かもしれない」が全くできません。
まあ確かに、「監視員」というポジション上、仕事でその場にいるわけですから、「遊びにきた~」というハイテンションさは露程もありませんし、むしろ暑さと倦怠感で常にローテンションなわけです。だからこそ客観的に周囲を「かもしれない運転」で見守ることができるのかもしれません。

年齢を問わず「わ~い、遊びに来たぞ~」「よし!ルールをしっかり守って安全に遊ぼう!」という殊勝な思考回路の人物はなかなかいらっしゃらないだろうと思います。
しかし、監視をやってますと、やはり歳を重ねるごとに「データ」が積み重ねられてきて、世代別に特徴的な「思考パターン」を観察することができました。
その「思考パターン」と並行して、子供たちの「叱り方」も年齢別に効果的な方法があるのですが、そこはまた次回に!